【想い】”ライフ・フィッシュフレンド” ~八ヶ岳から観賞用ベタを小児医療現場に~

Yatsugatake Wing ベタ

【想い】”ライフ・フィッシュフレンド” ~八ヶ岳から観賞用ベタを小児医療現場に~

15歳の体験|金魚

15歳中学生の時、私には、10歳はなれた病気を患った従兄弟がいました。当時、彼は、わたしが可愛がっていた、金魚鉢の金魚を、「僕のお友達」と言って、毎日、餌をあげ、それを食べる金魚に目を輝かせていました。従兄弟は私の家に来るたびに、嬉しそうに金魚に餌をあげていました。

5歳で逝った従兄弟が、「明日も餌をあげていい?」といいながら、わたしを見上げた、その瞳は、私の脳裏に深く刻み込まれ、50年経った今でも忘れることはありません

ベタとの出会い・魅了

中学生時代、近所の熱帯魚店で手伝いをした時に初めてベタと出会いました。

ベタは、もともと、激しい気性、愛情表現をする生き物です。また、ベタの平均寿命は、約2年、700日前後で短命です。

そんな中でも、水槽の水草の上で横になってお昼寝したり、小さなビー玉を入れてあげると、それを口で吸い付けて飛ばして遊んだりするところ、ガラス越しでありながら、人を認識しているかのような様子から、私はベタに魅了されました。

それからの経緯は下段の経歴欄をご覧下さい。
 

医療現場とベタ


37歳の時、セラピストとしてボランティアで、小児医療現場を訪問し、そこで、小児癌や難病で外に出られない子ども達と触れ合う機会がありました。

彼らが、幼いながらも、病と向き合い、与えられた命を懸命に生きている姿に心が震え、何か彼らのためにできることがないかと常に頭の中で考えるようになりました。その中で、幼くして逝った従兄弟の瞳が思い浮かびました

魚の命でも幼い子の友達になれること、そして命に大きいも小さいも無いことを確信しました。

子どもたちが、ベタに餌を与える行為は、ベタの命を明日へ繋ぐことに他ならず、子どもたちも命を繋ぐことに希望を持てるようになると思えたのです。

そして、小児癌や難病で、動物園や水族館など外に出られない子ども達へ “ライフ・フィッシュフレンド” として、ベタをギフトすることにたどり着いたのです。しかし、当時の私には、資金力も時間もなかったため、今は不可能でも、人生のラストステージまでには実現させようと心に誓ったのです。

それは人生最後の夢の1つとなりました。

夢を実現するにあたって


それ以来、“商売としてではなく、自分の心から湧き上がったやりたいこととして、病の子どもへ、ライフ・フィッシュフレンドをギフトする”というコンセプトを、クラウドファンディングなどを通じて、説明し、おかげさまで、多くの方に、興味を持っていただいております。

同時に、現在でも、発色の綺麗なベタ、オリジナルカラー、理想のベタ、自信の持てるベタを作り出せないか、仕入、飼育、繁殖、ベタの環境など、日々、ベタと向き合っています。

しかし、ひとつだけ、どうしても避けられない“ベタの死”が壁となっています。生き物の命には、限りがあります。どうしても死は避けられません。

  • プレゼントしたベタが死んでしまったら、、、
  • 生き続けると思っていたベタの死が子どもの希望まで奪ってしまうことにならないだろうか、、、
  • ベタの死が、子どもにとって悲しく辛い体験にしかならないのではないだろうか、、、

このようなメンタルリスクを少しでも減らすために現在でも、寿命が長いベタ、生命力の強いベタを育てる方法を日夜、八ヶ岳南麓大泉の標高1000メートルの地で、日々、試行錯誤しています。

八ヶ岳Wing Mrs.Hatsue

ベタ、観賞魚、水草等の経歴

  • 幼少期から、金魚をはじめ、メダカ、ベタなどを飼育。
  • 1980年代、小田急線駅ビル内、生活雑貨店の中で、住まいの中にリラクゼーションを目的として水草販売スペースを設置。
  • 店舗、個人宅への、アクアリュームセッティング、メンテナンスも手がける。
  • 相模原市の老人介護施設へ、アクアリューム水槽を贈呈し、セッティング、メンテナンスを無償で実施。
  • ベタと高級水草アヌビアスナナを入れた「アクアボールアクシー」を商品化し箱根芦ノ湖湖畔の水族館や箱根ホテルのギフトショップに販売し、猫や犬を飼えないお年寄りでも、手軽に小さなベタを友達にできると、好評を得る。
  • 2016年、ベタコンテスト出品 プラカット部門、優勝

アクアボールアクシーに関しては、現在のADAアクアデザインアマノの創業者、故 天野隆氏のもとに、新潟巻町にあった、初期のアクアデザインアマノ店舗へ出向きアクアボールアクシーを見ていただき、低床や水草のアドバイスを受けました。
天野氏は、私の、外へ出られない子供達へのベタのギフトに関して、その思いに共鳴してくださった。
今でも、天野隆氏を尊敬し、感謝しています。